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戦国板雑談スレ

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1名無しさん@おーぷん:2015/03/27(金)00:35:12 ID:???
だがだの菅沼だのSubだの斎藤だのここでやれ
89名無しさん@おーぷん :2017/07/11(火)11:34:46 ID:???
決めた人の趣味だろ

家康の方は世間的に妻という存在の共通認識がなく、親族で有名な女性が千姫だから
みんながみんな歴オタじゃないし、世の中なんてこんなもん
90名無しさん@おーぷん :2017/07/11(火)12:09:23 ID:???
瀬名じゃ駄目なんかね?家康の相手役は
濃姫だって信長とどこまで連れ添ったか謎なんだし
(本能寺で一緒に死んだとも、大坂の陣以降まで生きていたとも、本能寺以前に既に死んでいたとも)
91名無しさん@おーぷん :2017/07/11(火)12:13:32 ID:???
家康の母の於大の方も、それなりに有名じゃないかな…
母親が連れ添ってると、「家康はマザコンなのか?」とか疑問が出そうだからかな?
92名無しさん@おーぷん :2017/07/11(火)12:19:57 ID:???
戦国時代の人々の言葉ってどんな感じだったんだろう?
信長とか秀吉、家康、信玄、元就、島津みたいな領土を広げた武将は、地元方言のままだったのかな?
今みたいにNHKの標準語みたいのが有る訳無いし…

つボイノリオが言うように、信長・秀吉・家康が天下取った時には尾張弁か三河弁が公用語だったのかな?
他の地方出身者には会話が理解出来なさそうだが…

薩摩弁になるともっと酷そう
薩摩出身以外で島津家に服従した者は、どうやって適応したのだろう?
手紙とかなら「文語体」という便利な代物が有ったから日本全国ほぼ共通で通じたんだろうけど
93名無しさん@おーぷん :2017/07/11(火)13:11:21 ID:???
※92
歌舞伎言葉や芝居言葉とかが公用語代わりになっていた、という話は聞いた事がありますねえ。
94名無しさん@おーぷん :2017/07/11(火)13:26:46 ID:???
>>91
残念ながら賢婦人だが老婆である於大さまより、ビジュアルイメージが美少女的な千姫の方が企画会議で通りやすいのだ
歴史における重要性とかその人物との関係の深さとか、歴オタの戯言ぐらいにしか思ってもらえんのだよ
95名無しさん@おーぷん :2017/07/11(火)13:27:41 ID:???
>>93>>92宛です。失敬。
96名無しさん@おーぷん :2017/07/12(水)05:59:16 ID:???
>>93
おお、そうなんだ!ありがとう!
おじゃる丸みたいな京都弁で会話してたのかと思ってた…

>>94
なるほど…千姫は悪女じゃ…いや、何でもない
97名無しさん@おーぷん :2017/07/13(木)11:04:15 ID:???
そもそも、戦国時代とかでも、他国人があつまる所とかでは
あんまり演説みたいな事はせず、書面とかをまわして、重要な内容は伝える、
っていう感じだった、という話も聞きますかねえ。
98名無しさん@おーぷん :2017/07/13(木)11:21:02 ID:???
>>97
へー、そうなんだ。

大名「~をやる!」
家臣「御意!」
家臣「ははーっ!」

みたいな評定は「無い」とは言わなくても、あんまり見られなかったわけね
99名無しさん@おーぷん :2017/07/14(金)07:06:21 ID:???
まあ、同国人が集まるところでは、やってたのかもしれませんけどね。
100名無しさん@おーぷん :2017/07/14(金)07:07:38 ID:???
さすがに、他国人とかが集まる所とかでは、
演説とかしても、よくわからない、っていうのはあったかもしれないですねえ。
101名無しさん@おーぷん :2017/07/16(日)08:02:33 ID:???
松永久秀とか宇喜多直家、毛利元就、斎藤道三を友とか同僚とか主君、部下に持った人ってノイローゼとかにならなかったのだろうか?
茶会やら何かご褒美が与えられるとしても、
「これ、俺を謀殺する為の罠じゃね?」
と猜疑心に駆られる事間違いなしだと思うのだが…
実際、宇喜多直家の弟などはそう思って鎖帷子を中に着込んで出向いていたとの逸話も有るが…

彼らがそれなりの大々名になって家臣の心をつなぎ止められたのは、何か理由が有ったのだろうか?
102名無しさん@おーぷん :2017/07/16(日)11:06:25 ID:???
どんなブラック企業にも社員はいる
103名無しさん@おーぷん :2017/07/16(日)13:10:39 ID:???
三国志の呉の最後の皇帝の孫皓は、
「首都に来い→誅殺」をあまりにも繰り返しすぎた為、
孫皓が可愛がっていた寵臣ですら猜疑心に駆られて謀叛するという事が起こっていたとか
(この時は、別に孫皓に粛清するつもりは無かったらしいが、今までの実績が実績なので…)

宇喜多直家は「茶会しましょう→毒殺」を繰り返したらしいが、何で皆揃いも揃って騙されたんだろ?
今風に言えば、宇喜多直家の「茶会しましょう」は「死亡フラグ」と正しく認識出来なかったのだろうか?
104名無しさん@おーぷん :2017/07/16(日)14:46:27 ID:???
実際は自然死や事故死しただけの人を「実は俺がやったのだよ、ムフフフ」とやって他人をビビらせてたんじゃないか?
105名無しさん@おーぷん :2017/07/16(日)20:59:39 ID:???
>>101
元就とかは確か「配下の国人達とかは、内心では我ら毛利を心からよく思う者達など一人もいない。
だから一族のみが頼りだ。」的な書状を出していたようにも思えますねえ。
106名無しさん@おーぷん :2017/07/17(月)07:31:17 ID:???
清水宗治とか吉川経家とか、毛利の為に命を落とした連中って珍しいんだな…
(吉川経家と吉川元春の間に直接的な血縁関係は無い)
107名無しさん@おーぷん :2017/07/17(月)10:58:35 ID:???
松永久秀は、部下の面倒見と気前は良かったとの事だが…
「実は松永久秀は面倒見と気前は良いから、上司としては仕え易いぞ」
とか噂が流れるまでは、「天下一の大悪党」松永久秀の部下になるとか聞いた連中は戦々恐々の毎日だったんだろうな…
108名無しさん@おーぷん :2017/07/17(月)11:06:31 ID:???
戦国時代はまだまだ茶が貴重品扱いで、
「お茶会しようぜ」ってのは今で言えば、
「フランス料理フルコース食わせてやる」
「キャビアやフォアグラ食わせてやる」
ってのと同じくらいの価値が有ったんかいね?

現代でも「フランス料理フルコース」の響きに惹かれてレイプ魔に引っかかる馬鹿女が居るように、
暗殺の危険性を感じながらも「貴重品であるお茶が飲める」という誘惑には逆らえなかったとか?
109名無しさん@おーぷん :2017/07/18(火)05:33:28 ID:???
大熊朝秀って上杉謙信は裏切ったけど、
武田家については勝頼の滅亡まで付き従ったんだってね
義理堅いのか不義理なのか…

何気に、新陰流の創始者、上泉信綱と「無傷で」「互角」の戦いを繰り広げたらしいのだが、
もしかして一般的に無名ながらかなり強いんじゃないのかな?
110名無しさん@おーぷん :2017/07/18(火)13:04:49 ID:???
秀吉って、何で家康なんかに関八州なんて大領土与えたんだろ?
いくら何でも大盤振る舞いしすぎだし、
小田原北条氏を滅ぼした時の戦力が在れば、
余勢を駆って家康の駿遠三を攻略する事だって不可能ではなかったのでは?

本気で、東海道に配置した豊臣恩顧の家臣たちが、
もし徳川が豊臣を裏切っても、家康の前に立ちふさがって防いでくれると思ってたのかな?
111名無しさん@おーぷん :2017/07/19(水)19:08:52 ID:???
フロイスに高く評価されていた意外な武将

織田信孝に佐久間信盛
112名無しさん@おーぷん :2017/07/20(木)01:35:34 ID:???
まあ、佐久間信盛に関しては、後世はともかく、
当時では歴戦の武将扱いされてますし、
織田家ナンバー2としての立場を追放前まで保持していたわけですから、わかりやすい話でもあるかもしれないですかねえ。
113名無しさん@おーぷん :2017/07/25(火)12:19:29 ID:???
武田家四天王の山県昌景って、甲陽軍艦とか甲州流軍学が盛んに研究されていた江戸時代には「悪人」扱いだったのですかね?
明治の元老、山県有朋が、己の足軽出身の過去を覆い隠す為に、
「俺様は、武田家四天王の山県昌景の子孫なんだ」
と喧伝したのは有名だと思うのですが…

武家官位では、「右兵衛尉」の官位は、
「兄を密告して栄達した山県昌景の名乗りであったから」
とかいう理由で敬遠されていたとか書いてあるのですが…
114名無しさん@おーぷん :2017/07/25(火)14:34:03 ID:???
https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-98-9a/mushipro75/folder/1535203/59/64649159/img_0_m?1493123570

会津征伐寸前の頃の上杉景勝の領土って、これで正しいのかね?
飛び地二つも有って、おまけに福島県の全てを抑えてる訳でもないって状態で、
本当にこれで「上杉120万石」もの実収入が有ったのか甚だ疑問なのだが…

佐渡金山の収入を50万石くらいに見積もって上乗せしてんのかな?

伊達政宗と領土の広さはほとんど変わらないように見えるのに、
これで「伊達家58万石」(当時)と、上杉の半分以下の石高なのが不思議でならない
そんなに福島県西部が豊かで、宮城県は未開の地であったのかな?
115名無しさん@おーぷん :2017/07/27(木)20:34:07 ID:???
https://faeb92b469b40c9d72e4-dc920caace12a27e58d45a42e86d29a2.ssl.cf2.rackcdn.com/generic_v1.html

これは正しいんかね?
素朴な疑問として、鉛は東北地方で豊富に産出されるし、
硝石だって少ないながらも富山とかで自給出来てたはずだし、
この理屈が正しいのなら、武田以上に海外交易から離れていた小田原北条家など、呆気なく滅んでなければおかしいのではないか?
116名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)00:51:43 ID:???
http://ikura.open2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1494130023/

このスレの連中も痛いな
佐久間がどうたらより反論を制しておいて自説だけは垂れ流すアホ
117名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:03:04 ID:???
>>116
論破されたからこんな所で愚痴ですか?
118名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:05:47 ID:???
論破も何も最初から議論避けて何言ってんだ
119名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:07:45 ID:???
そもそも丹羽長秀に対しての調略なんてとっくに柴田勝家がやってる。
それすら知らんのだろうな。
120名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:18:26 ID:???
>>118
最初から議論になってないだろ
佐久間盛政が稀代の名将とか完全否定されただろうが
121名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:19:33 ID:???
佐久間が名将かどうかはともかくあそこちょこちょこ間違えがある
122名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:20:22 ID:???
>>119
はいはい、妄想乙です
いつ?どこで?どんな条件で?なんで丹羽は乗ってこなかったのかな?

第一それって「佐久間盛政の進言」によるもの?
「佐久間盛政が稀代の軍略家」とかほざく馬鹿は、一度もそんな事を主張した事無かったけどねw
123名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:21:49 ID:???
佐久間の進言ではないだろうが柴田はしている。
124名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)01:26:50 ID:???
そもそもあの戦いは柴田が圧倒的に有利だったが、佐久間の暴走で敗北したことは同意する
125名無しさん@おーぷん :2017/07/28(金)02:19:06 ID:???
戦国時代から江戸時代初期の技術であっても、
ひたすら内政に力を注げば、
石高二倍とか三倍くらいまでなら簡単に引き上げられたのかな?
山口県だけで幕末には百万石を誇ってたそうでこれは表高の二倍以上三倍未満に当たるし、
仙台藩も表高の二倍近い実高を誇っていた
津軽藩も五万石かそこらのスタートで、18世紀には35万石くらいに達していたそうだし
他の藩も多かれ少なかれ実高が表高を上回っていた
(例外はあるが)

それを考えると、本気で国内開発に取り組んでいれば、朝鮮やら中国大陸なんぞ必要無かったのでは?
信長や秀吉は考えてたみたいだけど
126名無しさん@おーぷん :2017/08/10(木)17:33:21 ID:???
朝倉義景は近江六角氏出身の養子という説が在るらしい…
越前朝倉氏には、景鏡や景健、景恒などなど無数の一族が存在したはずだが、
何でよりにもよって他家から養子など迎えたのか?
不満を持った朝倉一族が後継者争いを起こすとか予想出来なかったのか?
実際、景恒も景鏡も景健も義景を裏切ってるし…
127名無しさん@おーぷん :2017/08/12(土)21:55:50 ID:???
>>126
それに関しては、まずその説が本当であるかどうか、について
検証を行わないといけないかと思われますかねえ。
でなければ、話のすすめようがないのでは、と思いますしねえ。
128名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)02:20:10 ID:???
朝倉義景Wikipediaに載ってた
朝倉の盟友である浅井と六角は激しく争っていたはずなのだが…

浅井久政が親六角的だったのは、朝倉義景が六角の人間で南北挟み撃ちにされる危険性があったからなのか?
無能な老害どころか、浅井を守ろうとした有能という事になるのだが
129名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)04:44:14 ID:???
菅沼遼太君
君はまずwikipediaを鵜呑みにするのを止めよう
130名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)06:24:37 ID:???
>>128
元々、朝倉は朝倉宗滴が生きていた時から、浅井と戦っておりますし
久政は単に国力の問題や国内政治の整えなどの優先などから、
親六角的な政策をとった、という事ではないかと思われますかねえ。
131名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)14:07:11 ID:???
>>129
最低限の知識を身につけるには丁度良いだろ
132名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)17:10:27 ID:???
最低限の常識を身に付けてほしいもんだけどな
133名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)17:56:50 ID:???
>>132
人によって常識って物も違うと思うけどね
134名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)18:15:43 ID:???
最低限な

荒らしをしないとか
ダラダラ長いコピペを貼らないとか
135名無しさん@おーぷん :2017/08/13(日)19:59:21 ID:???
まーた必死になんたら認定して必死に同一認定に躍起な人が
喚いているようですなあ。今度は>>128の人がなんたら認定の対象ですかあ。
本当に必死な荒らしの人御用達のレッテル貼のようでございますねえ。
136名無しさん@おーぷん :2017/08/14(月)14:43:22 ID:???
>>134
そんな事やってませんけど
137名無しさん@おーぷん :2017/08/15(火)01:09:05 ID:???
とりあえず、浅井久政の話に戻してみますれば、
久政時代には浅井亮政が創業した浅井家の基盤の整えや、
地元との密着などが大いに行われたようであり、
これらが長政時代に六角と敵対して独立する為に戦って勝利したり、
信長を相手に大大名ではないにも関わらず、浅井が健闘しえた理由ともいう学者さんもおられますかねえ。
138名無しさん@おーぷん :2017/08/15(火)20:59:02 ID:???
浅井久政さんも、それなりに名君だったのですね…

不思議なのは、あまりに六角ベッタリで家臣団に嫌われて強制隠居させられた久政が、
何で信長との同盟破棄に関してだけは強い主導権を発揮し、
嫌がる長政に強引に織田との敵対姿勢を取らせる事が可能だったのかって事ですね。

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