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戦国最強秀吉

1名無しさん@おーぷん:2017/09/24(日)16:42:09 ID:MsP()
戦国時代の最強は秀吉
 
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24名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)01:31:55 ID:Kgu
>>17
熊本県の公式歴史書は無視ですかそうですか。

>>19
黒田は棄教しましたが何か?
熱心なキリシタン大名だった秀吉子飼いの小西行長ですら、
公然とキリスト教の主張を行えない時代だったのですよ?
25名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)01:32:44 ID:Kgu
>>21
お前キチガイだろ?
石田三成を抜擢して辣腕を振るわせたのはどこの誰だよ?
26名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)01:33:37 ID:Kgu
>>20
別に信者でも何でもない
功績は功績として認めるだけ

頭 の お か し い

お 前 と は ち が う
27名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)01:35:41 ID:Kgu
このキチガイに言わせると、
幕末の薩摩藩500万両の借金問題を解決した功績は、
ひとえに調所広郷に帰せられるべきであり、

調 所 を 茶 坊 主 か ら 抜 擢 し た 島 津 重 豪 の 功 績

など【一切存在しない】と言いたいらしいwww
28名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)01:38:32 ID:Kgu
>>20
もっと言えば、このキチガイの論理では、
【信長の勢力拡大】についても、
信長自身が指揮を振るって拡大した物でなければ功績を一切認めないらしいw

北陸を切り取ったのは柴田勝家であり信長ではないし、
丹波を切り取ったのは明智光秀…
中国地方を切り取ったのは羽柴秀吉であり、

【信長の勢力拡大】とは言わないらしい。
頭おかしいんじゃないの?
そいつらに指揮権を委ねたのはどこの誰だよ?
29名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)01:51:00 ID:Kgu
まあ、この馬鹿の妄想では、

「日本人はどうして秀吉を民衆レベルに至るまで慕っていたか」

については全く理解出来ないであろう。

江戸幕府は秀吉賛美のような物は片っ端から取り締まっていたのだ。
豊国神社は破壊されたし、太閤記とて例外ではなかった。
何度も発禁処分を受けていた。

それでも、民衆は秀吉を敬愛し続けた。

この馬鹿の理屈では、「それが何故か」理解出来ないであろう。
30名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)07:40:26 ID:Kgu
ここまでとことん「秀吉の功績」を一切認めない異様さは、昔の左翼教師と共通する物を感じる。

Q、奈良の大仏を作ったのは?
A、農民

その昔、こんな馬鹿馬鹿しい解答で正解を与えていた狂った教師が居たらしい。
聖武天皇が発願しなければそもそも大仏建立自体始まっていなかったという事は全面無視である。

石田三成の功績を、三成を任命して辣腕を振るわせた上司の功績を一切認めない姿勢も、
「奈良の大仏は農民が作った」に通じるくらいのアホな論理だ。
31名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)08:02:07 ID:TDm
このように秀吉信者は

部下がやった秀吉の功績は「秀吉の功績」
部下の失態は「秀吉ではない部下」とすり替える傾向がある。

それなら九州征伐も四国征伐も「部下の功績」になるわけで、「秀吉が8年で統一できたのは部下が凄かったから」という産物にしかならん。


一揆を起こされたのは「木村のせい」なら石田の敏腕は「石田の功績」にならなきゃ話にならん・
32名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)08:04:57 ID:TDm
秀吉が江戸時代に慕われてた理由は徳川幕府批判なのと太閤記が面白かったから。所詮民衆なんてそんなもんで
司馬遼太郎以降新撰組が大人気になったのと同じ。戦後の信長ブームも同じだろう。
みんなが歴史研究者ではないということは理解していくように。
33名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)08:11:25 ID:TDm
5人組制度は石田ら奉行が近江の領土で出したものが徳川幕府に引き継がれてるんだよ。
それを秀吉と家康がコピーしただけの話。なので5人組は石田らの功績になる。

そういう意味で秀吉家臣団は清正、三成、と優秀だったといえるのだが何故あれだけ内ゲバ起こしたのか
34名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)08:31:27 ID:TDm
やっぱ武田関係と違って知識が不足してるから今回は無視でいいやこの人。
武田レベルに調べてから来てくれ。
35名無しさん@おーぷん :2017/10/03(火)08:42:05 ID:TDm
何故か信長記が出された信長は何故江戸時代で不人気だったのか

信長記が三河物語や信長本人が新井白石に批判された太閤記に比してあまり流行らなかったのが大きい。
また太閤記と物語がかぶっている。
これがあまりにも大きい。特に新井白石なんて大人気作家でそれに批判されるのは
そら人気に陰りが出るものである。
武田信玄が甲陽軍鑑が江戸時代に大ヒットして大人気だが、謙信人気は信玄に及ばなかったみたいである。
もし誰かが記録でも残してた甲陽軍鑑より流行ってたら逆転してただろう

このように出版物は社会に影響を与えると考えた方がいい。
36名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)07:23:37 ID:xBt
「葛西大崎一揆の責任を伊達が問われなかった」
とか無知蒙昧も良いとこ。
実際には伊達政宗は、伊達家先祖伝来の伊達郡、信夫郡から追放された上、
一揆によって荒廃した葛西大崎領を押しつけられ石高を大幅に減らしたのだ。
「仙台百万石」なんて言われるようになったのは、江戸時代が始まってから50年とかそこら新田開発を行い続けた結果であり、
秀吉在世当時は紛れもなく「懲罰転封」であった。

しかも伊達家は、一揆によって荒廃した土地を建て直す為に時代に逆行するかのように家臣団に土地を与えまくって新田開発を行わせた。
この仙台藩特有の地方知行制は幕末まで残存し続け、仙台藩の藩制改革や近代化の足を引っ張り続けたのだ。
戊辰戦争で統一した訓練や指揮権すら仙台藩主が持てず、
「ドンゴリ」と味方からも軽蔑されていたのが仙台藩であった。
大砲がドンと鳴れば五里は逃げ出す腰抜けという意味である。
仙台藩では伊達家直参の武士よりも、地方知行制によって土地を与えられた者たちの家臣団、
つまりは伊達家から見れば「陪臣」の方が圧倒的に数が多かったとも言われている。

「伊達家を処罰出来なかった」という主張も無知蒙昧なら、
秀吉の懲罰転封によって伊達家がまるで何も困らなかったかのように思い違いしているのも無知蒙昧である。

まあ、石田三成に豪腕を振るわせた秀吉の功績など認めない頭のおかしなキチガイには、理解が出来ない話だろうけど。
37名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)07:25:42 ID:xBt
>>35
と言うより、信長があまりにも残虐すぎて、悪評しか残らなかったのが大きいのでは?
同時代人からですらボロクソに言われてたでしょ?

信長に寵愛されて取り立てられたとされる秀吉ですら、明智光秀の謀反は許しがたいと言っておきながら、
一方で、信長にも裏切られて仕方のない原因があったとか言ってるらしいし。
38名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)07:34:16 ID:xBt
>>32
はいはい、その証拠は?
お前の妄想だろ、どうせw

太閤記じゃないけど、大阪の陣で秀頼側の主張を記載した本を出版した者が、

【斬  首  刑】

に処せられたって話も江戸時代にはあるんだけどねぇwww

太閤記とて同様。
版木で出版出来ないので写本で広まってた時代すら存在した。
秀吉敬愛者は地下に隠れて密かに書物を写し取ったのだ。
太閤記が何らの妨害も無く自由に活字出版出来るようになるには、明治維新を待たねばならなかった。

このキチガイ馬鹿は、単に内容が面白いというだけで写本が広まると思えるらしい。
今みたいにインターネットも無ければ、コピー機も無い、そもそも【言論の自由】が存在せず、バレたら斬首、遠島、手鎖、罰金という生命の危機も顧みず、
内容だけで写本を行うと思えるらしいw
39名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)07:35:04 ID:xBt
>>33
で、その石田のアイデアを採用したのはどこの誰?
お前馬鹿だろ?
40名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)07:44:26 ID:xBt
このキチガイ馬鹿は、日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文が、太閤記を感激を持って一字一句彫るように書き写していたという事実を知らない。
足軽の家柄に生まれた伊藤は、足軽から天下人になった秀吉に涙が出るほど感動して、己を「今太閤」と擬していたのだ。

戦後、「今太閤」と言えば、小卒で内閣総理大臣になった田中角栄を指すが、
明治時代には間違いなく、足軽から内閣総理大臣や枢密顧問官を歴任した「伊藤博文」の事を指していた。

どこで読んだか忘れたが、江戸時代中期には田沼意次もまた「今太閤」と呼ばれていたという。
田沼も下級武士からの成り上がりであり、江戸時代も200年近くを経過したこの頃には激しい太閤記迫害運動も既に影を潜めていたのかも知れない。
(当然「言論の自由」など存在しない時代なので、おおっぴらに秀吉賛美を行えば処罰モノだったかも知れないが)

「太閤」という言葉は、間違いなく多くの日本人にとって「褒め言葉」として使われていた。
また、伊藤博文や松下幸之助のように、恵まれない階級出身者からは尊崇の念を持たれていた人物であった。
41名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)09:43:18 ID:bbv
うんうん無視ね
42名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)09:50:26 ID:bbv
例えば宮本武蔵

武蔵が「国民的な剣豪」になったのは
吉川英治の作品の影響が大きいだろう
それまではとてもじゃないが「剣豪としての評価」では「塚原ト伝」や「上泉信綱」の方が大きかっただろう。
しかし吉川英治以降評価が逆転して「宮本武蔵」が日本を代表する人物になったと考えるとフィクションは民衆に大きな影響を
与えるのではないかと考えている
 
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43名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)10:03:40 ID:bbv
織田信長

彼も革命児的なイメージを持たれているが「国盗り物語」や下天は夢かの影響が大きい
それから「信長革命児」が民衆に持たれていったのだろう。
まともな戦国時代の研究者はそれを否定するが日本での信長のイメージは「革命児」だ。
44名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)11:49:32 ID:bbv
坂本龍馬こいつも司馬のせい。それまでは大したことがない。
イメージも司馬だのなんだののまま。
45名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)14:23:47 ID:bbv
更に戦後ほとんど無名の三好長慶さんは司馬遼太郎が国盗り物語の三好編だとか作れば大人気になっていた可能性もあるように
歴史的知名度や業績的知名度は「事実」ではなくて「周囲の取扱」の方が大事となってくるのであろう。

新撰組なんて誰それもしくは悪役ってイメージだったのに戦後、司馬が本書いて土方だの近藤だのは知らない人がいないくらいの人物となったということは
「イメージ」と史実は違うと考えなければならないということだ

池田屋事件なんて無いし。
46名無しさん@おーぷん :2017/10/04(水)18:33:26 ID:bbv
未だに桶狭間合戦は奇襲説や三段撃ちや鉄甲船が史実として日本人に捉えられている
研究者からは楽市楽座なども追認、革命児どころか領内統治はスカスカという指摘がある
(織田の行政文章は安土城で燃えた可能性があるので現在の歴史観が正しいとは限らないがこれは豊臣にも言える)

このように歴史観や人物イメージはフィクションや後世の評価を主に伝搬していくものである。

個人的には信長はそこまで酷かったわけではないとは思うが
 
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47名無しさん@おーぷん :2017/10/05(木)09:37:53 ID:Jvu
更に足利義教や佐々木道誉や水野勝成のような人物はマイナーである。
婆沙羅大名や小説の前田慶次真っ青の人生を送ってる小説向けの人物だと思われるが
それでも小説で登場などをしないとどうしても人気になりえないのである。

恐らく秀吉もそうである。太閤記のイメージで評価されてる部分が多く
史実の騙し討ち根切り粛清大好きの秀吉ではなく機転の効く陽気な太閤さんが秀吉のイメージだろう。
 
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48名無しさん@おーぷん :2017/10/08(日)16:52:19 ID:HQt
豊臣秀吉のイメージは「農民から成り上がった」とのことだが
ただの農民がそんな簡単に小物とは言え松下家に召し抱えられるのだろうか?と考えている。
そして出奔した人物が織田家にちゃっかり帰れるほど織田信長は甘い人物なのかと考証するに
「農民」ではないと考えたほうが自然だろう。

織田の1次資料ではそこそこの指揮官として初登場してる
49 :2017/10/09(月)15:50:37 ID:ns6
恐らくも何も、お前とは違うまともな歴史研究家も秀吉を激賞しているんだけど。
まあ、いいや。
お前は、秀吉についてどのくらい本を読んで研究したの?
太閤記すら読んでないっぽいけど。
桑田忠親とか小和田哲夫は読んだ?
徳富蘇峰は?

お前と違って無数の文献を読んでなお好意的な歴史家や研究者の存在はどう思うん?
50名無しさん@おーぷん :2017/10/09(月)15:52:52 ID:uhg
秀吉についての本のことはともかくとして秀吉のイメージが虚像まみれであるというのは事実だな
51名無しさん@おーぷん :2017/10/09(月)15:55:01 ID:uhg
棚ぼた幸運地味で有名な徳川家康だって
上洛戦三方原長篠武田滅亡小政長久手関ヶ原大坂と十分ハードかつ派手な人生を送ってるしイメージってほんと怖いもんだわ
52 :2017/10/09(月)16:03:06 ID:ns6
>>51
棚ぼたとか思ってるのって「私は無知蒙昧です」って宣言してる馬鹿だけでしょ
53 :2017/10/09(月)16:04:26 ID:ns6
>>48
あり得るんじゃないですか?
江戸時代にすら、農民や漁民から成り上がった人間が存在しているのですから、
能力第一主義の戦国時代なら尚更でしょう。
54名無しさん@おーぷん :2017/10/09(月)16:05:31 ID:uhg
まーた変な分身キャラか
こいつも無視でいいや

あと秀吉が農民なんてのは史料がない
55 :2017/10/09(月)16:05:43 ID:ns6
>>50
それでも尚好意を受けるのはなんなん?
日本人は学者も含めて皆馬鹿って言いたいん?
56名無しさん@おーぷん :2017/10/09(月)16:06:13 ID:uhg
じゃあねー
57 :2017/10/09(月)16:07:12 ID:ns6
>>54
そもそも農民だなんて言ってるまともな学者もいないのですがw
誰と戦ってんですか?

秀吉は「百姓だった」とは言われますが、この百姓って農民限定じゃないんだけど。
58 :2017/10/09(月)16:08:01 ID:ns6
罵倒だけして逃げ足だけは一丁前ですねー
ろくに本を読んでないだけの事はありますねー
59名無しさん@おーぷん :2017/10/09(月)16:16:42 ID:uhg
しかしこの人株 まあいいや
60名無しさん@おーぷん :2017/10/09(月)18:26:49 ID:uhg
秀吉の株は何故死後乱高下するのかということを現実の株価の値動きに合わせて考えてみたい
これほど毀損が激しい人物は珍しいであろう
人は「現実よりも虚像」を優先させ「行為より背景」と「合理的な判断ができない」。
人間の他者評価の性質を考えて見るに理解しやすいものである。
江戸時代は「公的には貶められ」「大衆人気はあった」と考えられる
「江戸幕府的には都合が悪く「民衆的には虚構のヒーローかつ「江戸幕府批判」により人気を拡大していったと考えられる。

非政権担当者的には「虚構のイメージ」かつ「町民の置かれてる不満」を心理的に表現した偶像であり史実の秀吉への投影ではなく
人々の憧れを象徴した存在で秀吉へは数多くのフィクションが創作され人気は拡大した
江戸時代では身分統制により身分が固定化され戦国時代の流動的な社会の代表的人物の秀吉に憧れを仮託したのと
単純に秀吉の物語が面白かったためであろう。

徳川政権の公的な評価では前政権の主権者であり政権を簒奪した対象であるため
秀吉は貶める対象であり秀次が粛清した菩提寺に加増されていたり神号が剥奪されたりしている。
私的に秀吉を評価していた人物はいないわけではなかっただろうが公的な評価は否定的である
これも徳川政権が簒奪したからで別に秀吉は幕府に何もしていない。

明治維新を経て、明治時代となり皇国史観が国家の公的な史観になると徳川幕府を否定し天皇を至上にするために
天皇に親和的だった秀吉を公的に持ち上げ南朝の武将とともに「勤王の代表者」のように取り扱われ政府の領土拡大方針も相まって
株価がストップ高を記録した時期であり、秀吉自体はそこまで勤王ではなかったと思われるが持ち上げられるに至った。
太閤記がそのまま史実のイメージとなり秀吉の暗い出来事である殺生関白なるほぼでっち上げに近いイメージが定説となるなど
プロパガンダが先行された。
関白を殺害したり明を征服した際は公的に天皇より上位に成り上がろうとしてた無かったことにされていたようである。
これも時代の流れで評価が高くなっただけで秀吉は当時から何もしてることが変わらないが時代背景によりここまでの
乱高下をしている。
 
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61 :2017/10/10(火)03:00:44 ID:pzu
伊藤博文は、江戸時代の足軽時代に太閤記を貪り読んでいた事について何らの反論にもなってないねー
62 :2017/10/10(火)03:02:30 ID:pzu
むしろ秀吉が江戸時代に否定されたのは、士農工商の儒教理論に反する出世を遂げたからだと思うんだけど?
徳川家康その人が豊臣政権の五大老の一人だったくせに、全面的に否定出来ないでしょ。
63名無しさん@おーぷん :2017/10/17(火)17:56:07 ID:3Di
士農工商って教科書からすら削除されてるんだが
武田関係以外はゴミだなやっぱ 無視で正解
64名無しさん@おーぷん :2018/06/13(水)19:15:41 ID:vmx
>>42
お前が無知なだけ
剣豪だけでなく、書家としても元々有名
65名無しさん@おーぷん :2018/06/13(水)19:18:41 ID:vmx
>>63
はぁ?
最近の話をもちだして何を偉そうにしてんの?
昔の話だろ
66名無しさん@おーぷん :2018/06/14(木)08:33:04 ID:g6d
最近も何もなかったから削除されてるわけで、武田関係以外の知識は怪しいから無視でいいですね
67名無しさん@おーぷん :2018/06/16(土)08:14:26 ID:GWz
>>66
無かったとか大嘘ほざくな
儒教理論では士農工商は常識的な話でしかない
日本ではそこまで儒教理論が普及しなかっただけの話であって、
儒教が普及した中国も朝鮮も士農工商の身分制はあっただろ、アホが。

ついでに、削除された理由は「無かったから」ではなくて、ゆとり教育のせいらしいが。
バカは自分で調べる頭が無い。
68名無しさん@おーぷん :2018/06/16(土)08:20:31 ID:GWz
>>42
そんなに武蔵が無名だったなら、どうして五輪書が散逸せずに残ったのか?
「あの武蔵が書いた書だから」(という体裁だったから)
後世に残ったのではないか。

諸葛孔明の兵法が散逸せずに済んだのと同じ理屈である。
本当かどうかはさておき、諸葛孔明と題しておけば珍重して保護する人間は出てくる。
69名無しさん@おーぷん :2018/06/16(土)09:03:09 ID:xUg
士農工商について
普通になかったであっとる
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1606/04/news012.html

史料が逸脱せずに残ったって言うなら朝倉始末記も残ってるだろうて
だからといって朝倉が日本一の大名にはならんからな
見苦しいよあんた無視でいい
70名無しさん@おーぷん :2018/07/14(土)03:13:22 ID:77W
>>69
日本語読めないんだねw
無かったんじゃなくて記述が「不適切」と書いてあるのだが。
そもそも「儒教理論ではどうか」という点については何らの反論にもなってない、笑わせる。
71名無しさん@おーぷん :2018/07/14(土)03:14:33 ID:77W
>>62にはハッキリと、
「士農工商の儒教理論」
と書いてある。
日本語読めないのかね?
72名無しさん@おーぷん :2018/07/14(土)03:20:24 ID:77W
>>69
>史料が逸脱せずに残ったって言うなら朝倉始末記も残ってるだろうて

何の反論にもなってないねw
宮本武蔵が有名だったか否かというのがそもそもの話なんだがね。
>>42はただの無知の馬鹿。

>武蔵が「国民的な剣豪」になったのは
>吉川英治の作品の影響が大きいだろう

吉川英治なんか関係なしに剣豪として元々有名であり、それが証拠に講談の主人公にもなっている。
画家としても有名だったし、知らないというのは単なる無知の馬鹿なだけ。
73名無しさん@おーぷん :2018/07/15(日)10:17:14 ID:MIV
いやいや、士農工商なんてのはなかったんだよ
史料示したろ?

じゃあ朝倉家も国民的な大名なのかっていうとそうではないだろ
有名だけど

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